続・中国任侠伝が大変面白かったので一作目も戻って買ったのですが、陳舜臣さんの容赦ない格付け、心情洞察とそれに伴うであろう補完ドラマによって、道徳観念が割と違う古代の異国の人間機微を昨日のことのように感じる事が出来ます。人物については史記などに出てくる有名人が多いのですが、有名でない文献も調べているためか、より任侠方面を掘り下げてあります。でも歴史書のような潔い一言でそっけなく書いてしまう面もあり、現代語なのに古典を読んでいる気分も味わえます。
内容については、学問や法が文官の手でこねくり回され庶民の道徳観とかけはなれた宮中の政治道具になって民や実労部隊を苦しめる時に、より率直な任侠がいかに人民に信頼されるのかという現代的な側面があります。日本で言えば武家政治の中で武士の志の高さを説いた葉隠れなどに通じる気もします。と言っても配下数万食客三千の大物の逸話が多いので、感じとしては水滸伝とかに近いかな。成功した人もいれば失敗した話も多く、むしろ歴史の中では威徳が伝わらない名前だけの人物の方が「上手く立ち回った」のかも知れませんが、むしろ義理人情で板挟みになって人の無情薄情が身にしみた凡夫が読むと、負けると思っても立たねばならない武侠や讒言で失脚して失意にある宰相などの方にはるかに同情します。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
中国任侠伝 (徳間文庫 ち 1-42) 文庫 – 2005/4/1
陳 舜臣
(著)
任侠——それは、他人のためには自らの命をも顧みない行為である。始皇帝暗殺を試みた荊軻、斉の賢人として知られる孟嘗君、後の侠客たちが手本とした朱家……。『史記』に材をとり、壮大な中国史の裏舞台で「義」を重んじた男たちを描く。
- 本の長さ317ページ
- 言語日本語
- 出版社徳間書店
- 発売日2005/4/1
- ISBN-104198922284
- ISBN-13978-4198922283
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 徳間書店 (2005/4/1)
- 発売日 : 2005/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 317ページ
- ISBN-10 : 4198922284
- ISBN-13 : 978-4198922283
- Amazon 売れ筋ランキング: - 707,240位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1924(大正13)年、神戸に生まれる。大阪外語大学印度語部卒業。同校西南亜細亜語研究所助手を勤めるが終戦によって辞職し、家業の貿易に従事。 1961年、『枯草の根』により江戸川乱歩賞を受賞し作家生活に入る。69年、『青玉獅子香炉』により直木賞、70年、『玉嶺よふたたび』『孔雀の道』に より日本推理作家協会賞、71年、『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞、76年、『敦煌の旅』により大佛次郎賞、89年、『茶事遍路』により読売文学 賞(随筆・紀行賞)、92年、『諸葛孔明』により吉川英治文学賞、93年、朝日賞、さらに95年、「作家としての業績」により日本芸術院賞をそれぞれ受賞 する。日本芸術院会員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『秘本三国志(六) 』(ISBN-10:4122052157)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年1月22日に日本でレビュー済み
陳舜臣の短編集。中国史における「任侠」の人をピックアップして紹介。任侠とは、日本のやくざ映画のようなごろつきではなくて、他人のために一肌脱いで困難な役割を演じるということらしい。このころの陳舜臣の作は司馬遼太郎と文体が似ている気がする。
2010年7月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
氏の代表作、小説十八誌略ではあっさり書かれすぎてた
光武帝による漢王朝再興時代の資料を探してましたが、
これはほぼ満足いく内容でした。
奇妙な運命に駆られ、赤眉軍に投ずることになった不運男、徐次子。
名将、馬援と並び称される人物ながら、性根が小者だったため歴史に
名を残し損ねた原渉。
馬援との友情を貫いた義士、朱勃。
などなど、宮城谷氏の「草原の風」から見ればまだ先の話ですが、
副読本として楽しめる内容になっています。
欲を言えば、陳氏に三国時代よりこっちの話をメインで書いて
欲しかったなあと。
光武帝による漢王朝再興時代の資料を探してましたが、
これはほぼ満足いく内容でした。
奇妙な運命に駆られ、赤眉軍に投ずることになった不運男、徐次子。
名将、馬援と並び称される人物ながら、性根が小者だったため歴史に
名を残し損ねた原渉。
馬援との友情を貫いた義士、朱勃。
などなど、宮城谷氏の「草原の風」から見ればまだ先の話ですが、
副読本として楽しめる内容になっています。
欲を言えば、陳氏に三国時代よりこっちの話をメインで書いて
欲しかったなあと。
2002年1月12日に日本でレビュー済み
「任侠」と言えばいまの言葉では「やくざ」ですが、実際はすこし違います。中国語でも単なるヤクザ、チンピラのたぐいは流氓もしくは流盲(リウマン)。そうではなく、弱きを助け強きをくじく超古典派正当「やくざ」こそ任侠なのです。
著者陳氏は「中国のますらおぶり」を描きたかったと記していますが、わが日本の男道の花道が公に殉ずる武士だとすれば、あちらの男道の華こそまさにこの「侠」なのであります。理想化された武士道が公と私のストイックなタテの間柄とすれば、「侠」は私と私のヨコの関係にあたります。
才や勇をひっさげた個人が縦横無尽にかけめぐった紀元前の戦国時代には特にこの「侠」が興隆しましたが、「私」どうしの関係が徹底化されたそのビジョンはまさにひとつの美。己を知る者のために死ぬ、頼まれれば死ぬ、理由などいらぬのカッコよさ。かの有名な歴史家司馬遷は、本来なら公の記録からは黙殺されるはずのこれら「侠」に対してその『史記』の一篇をわざわざ捧げています。史記「遊侠列伝」「刺客列伝」がそれにあたります。あたってみたい方は、全篇やさしい日本語訳でよめる岩波文庫の『史記』がおすすめです。
中国では、何よりも重視される血族などの「私」的なつながりこそが社会で大きな役割を果たしつづけてきました。中国社会のこういう性格が近代化を難しくしているひとつの要因なのでしょうが、「侠」に連なるヤクザの秘密結社である「帮」(バン)や「会」が社会に持っている影響力は、今でも日本のやくざとは比較にならないものがあります。「水滸伝」などにみるように、そのネットワークは内乱をも準備できたのです。
一時期話題になった新興宗教、「法輪功」もまた中国社会における宗教的な秘密結社(それこそ後漢末の「太平道」以来)の流れをくむもので、当局があれほど恐れるのも中国社会で秘密結社がもちうる影響力の大きさを知り抜いているからなのでしょう。こうしたネットワークの代表格として、『客家』(講談社現代新書)を挙げることもできます。
少々こじつけのきらいがありましたが、例えば本書にえがかれている「侠」という生きざまをたぐってみることで中国文明のひとつの特徴にまで視線をむけることも不可能ではないと思います。
著者陳氏は「中国のますらおぶり」を描きたかったと記していますが、わが日本の男道の花道が公に殉ずる武士だとすれば、あちらの男道の華こそまさにこの「侠」なのであります。理想化された武士道が公と私のストイックなタテの間柄とすれば、「侠」は私と私のヨコの関係にあたります。
才や勇をひっさげた個人が縦横無尽にかけめぐった紀元前の戦国時代には特にこの「侠」が興隆しましたが、「私」どうしの関係が徹底化されたそのビジョンはまさにひとつの美。己を知る者のために死ぬ、頼まれれば死ぬ、理由などいらぬのカッコよさ。かの有名な歴史家司馬遷は、本来なら公の記録からは黙殺されるはずのこれら「侠」に対してその『史記』の一篇をわざわざ捧げています。史記「遊侠列伝」「刺客列伝」がそれにあたります。あたってみたい方は、全篇やさしい日本語訳でよめる岩波文庫の『史記』がおすすめです。
中国では、何よりも重視される血族などの「私」的なつながりこそが社会で大きな役割を果たしつづけてきました。中国社会のこういう性格が近代化を難しくしているひとつの要因なのでしょうが、「侠」に連なるヤクザの秘密結社である「帮」(バン)や「会」が社会に持っている影響力は、今でも日本のやくざとは比較にならないものがあります。「水滸伝」などにみるように、そのネットワークは内乱をも準備できたのです。
一時期話題になった新興宗教、「法輪功」もまた中国社会における宗教的な秘密結社(それこそ後漢末の「太平道」以来)の流れをくむもので、当局があれほど恐れるのも中国社会で秘密結社がもちうる影響力の大きさを知り抜いているからなのでしょう。こうしたネットワークの代表格として、『客家』(講談社現代新書)を挙げることもできます。
少々こじつけのきらいがありましたが、例えば本書にえがかれている「侠」という生きざまをたぐってみることで中国文明のひとつの特徴にまで視線をむけることも不可能ではないと思います。